昔から好きで何度も繰り返し見ていた(読んでいた)ハチミツとクローバー。
こんな一節があった。
なぁ花本君、教師になんぞなるもんじゃないな
どんなに可愛がっても相手は卒業してゆくばかり。
見送るだけの人生じゃ。 卒業してしまえば次に会うのは何年も先。
ヘタすりゃ2度と会う事もない。
いったい教師というものは…
永遠に卒業できない学校の亡霊のようなものなんだろうかの?なぁ。
丹下先生が卒業していく森田さんを前に呟いた台詞。
今の自分がニュージーランドから抜けるに抜け出せなくなっている状況について考えると、自分も『ニュージーランドに住まう亡霊』みたいな存在ではないかと思えてくる。
語学学校で出会った人達、大学で一緒に勉強していた友人、バイト時代の職場仲間。気づけば、ほとんど皆いなくなっている。異国での一時の休暇を満喫して、もしくはあまりすることのない生活に飽き飽きして帰国していく人たちを何人も見てきた。
この先、近い将来。ある程度自分の納得の行く結果を出して、日本に帰る決断をする日が来るのだろうか。それとも、もうしばらくニュージーランドで彷徨い続ける亡霊ごっこを続けるのか。
今はまだよく分からない。
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最近、生活が少しだけ変わった。
まず、ラジオトークというラジオ配信を始めることに決めた。
『配信を始めたきっかけは、考えている事を言葉にして話す機会を増やしたかったから』みたいな事を配信の中で喋っていたけれども、実際はどうか。何も考えないでただただ惰性で過ごしがちな毎日を一度リセットして、人前で喋っても恥ずかしくないくらい、物事を考えながら丁寧に生活したいと思ったから。きっと、こっちの方が正しい気がする。
何か喋らなければいけないという状況下に自分を追い込めば、何を話すか頭を使って考えるようになる。『自分を高めたい!』というようなポジティブな動機では決してなく、『なんとかしなければいけない』というどちらかというとネガティブな思いがそこにはある。
一発取りで納得のいく録音をするのは、中々に骨が折れる作業だということが2回配信してみて分かった。毎日とは言わずとも2日、3日に1度のペースでは続けていきたい。
例え聞いている人がほとんどいなくても『誰かに聞かれる可能性が少なからずある』と思うといくらか身の引き締まる思いがする。
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cocanというサービスを使って古典に詳しい方とお話させて頂く機会があった。
『古典について素人だけれども色々お話聞かせて頂けないでしょうか』という漠然とした要望だったにも関わらず、快く了承してくれて、頭の下がる思いだった。
実際通話した際も、百人一種の話から始まり、古典のバックグラウンドがない自分にも分かりやすいように色々な内容を噛み砕いた形で話しをしてくれた。
彼女の丁寧に言葉を選びながら常に正しい言葉で話そうとする姿勢がとても印象的で素敵だった。言葉と真摯に向き合いながら生活している方なんだろうなというのがひしひしと伝わってきた。
cocan、他にも興味のあるサービスや少しでも話してみたいなと思う方がいれば積極的に利用していきたないと思っている。
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今年度が始まった時、貯金だったり資格だったり、目に見える形に残るものをなんとか追い求めていく一年になればいいと思っていた。今ここにきて、そうではないものにまた強く惹かれ始めている自分がいる。
8月がもう数日で終わるので、今年度ももう後4ヶ月しかない。残り少ない日数をどう過ごしていくべきか、今週末にでも、もう少ししっかり考えよう。